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東京地方裁判所 昭和45年(刑わ)2885号 判決 1971年12月16日

主文

一、被告人甲を禁錮一年六月に処する。

二、同被告人に関する訴訟費用は、同被告人の負担とする。

三、被告人乙は無罪。

理由

第一、被告人甲について

(罪となるべき事実)

被告人甲は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四四年四月七日午前九時八分ころ、大型貨物自動車(ダンプカー)を運転し、東京都北区豊島二丁目一番九号先の交通整理の行なわれている交差点を、王子駅方面から西新井方面に向かい、時速約四〇キロメートルで道路中央線寄りに進行通過中、同交差点出口の横断歩道付近で進路を道路(左側車線の幅員約八メートル)左側端寄りに変更するにあたり、あらかじめその合図をし、左後方から進行してくる車両との安全を確認ののち左に転把すべき業務上の注意義務があるのに、左に進路変更の合図をすると同時に、左後方から進行してくる車両との安全を確認しないで、前記速度のまま左に転把して進行した過失により、同転把の直後、折から自車の左後方から進行してきた乙運転の普通貨物自動車に自車を接触させ、同人をして危険回避のため左転把、急制動のやむなきに至らせて同車を左前方の歩道上に乗り上げさせ、右歩道上でバスを待つていた渡辺照子(当二七年)、渡辺美和(当五年)、横山智美(当五年)らに同車を衝突させて転倒させ、その結果、右渡辺照子に背負われていた渡辺径子(当時一年三月)を、頭蓋骨骨折等により同日午前一一時ころ死亡するに至らせたほか、右渡辺照子に加療約一年四か月を要する骨盤骨折等の、右渡辺美和に加療約四か月半を要する肝臓破裂等の、右横山智美に対し全治一六日を要する頭部外傷等の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<略>

(被告人甲、およびその弁護人の主張について)

被告人甲は、自分は左に進路変更の際、左ウインカーをつけ約三秒位してから、左サイドミラーを見ながら左へ寄つたが、その時同ミラーには乙の車は写らなかつた。したがつて自分には過失がないと主張し、同被告人の弁護人も右と同旨のほか、

(一)  本件事故は、乙の車両の速度違反、左側追い越し禁止違反、交差点内追い越し禁止違反、ブレーキに欠陥のある整備不良車の運転禁止違反、積載重量制限違反、積載方法違反等の各事実によつて起きたもので、被告人甲の進路変更と乙車両の歩道乗り上げとの間には相当因果関係がない。

(二)  被告人甲は、交差点中央よりやや出口寄りの付近でウインカーにより進路左変更の合図をし、左サイドミラーで左後方を、左窓越しに左横を見て、他車のいないことを確認のうえ、合図から三秒以上間隔をおいて進路変更を開始したが、右確認のとき、乙の車両は甲の車両の後方死角内に入つていて、視認することができなかつた。ところが乙の方で甲の進路変更の合図を見落して急に追い越しをかけてきたのであるから、甲の方に過失はない。

(三)  右のように、甲が適式な合図をし、かつ左後方と左横の安全を確認した後、進路変更を開始し、もはや左後方を見ないで進行方向のみを見て進行を継続したとしても、本件乙のように高速で交差点内で左から追い越しをする車両、しかも重量超過・積載方法不適当でかつブレーキのきかない車両がくることを予期せず、後方から進行してくる車両の運転者が道交法に従い適切な行動に出るであろうことを信頼しても、その信頼は相当であり、いわゆる信頼の原則の適用の面からも甲には過失がない。そして、仮に甲がサイドミラーを見たとき、乙の車両がそこに写つていたのを見落したとしても、適式な合図をしている以上、やはり信頼の原則の適用がある。と主張している。

そこで、右主張に対する判断の大要を以下に示すと、

(一)  甲車の進路変更と、乙車の歩道乗上げとの間に相当因果関係がないとの主張については、論旨はまず乙車がブレーキの利きが全体に悪く、右後輪に全然制動効果がない整備不良車であつたから、走行中に急制動した際にはハンドルを左側にとられ、進路は左方に寄りやすくなる性質を有するうえ、時速七〇キロメートル以上の高速で、しかも積載重量制限を超過する荷物を積載していたので、急制動をかければ左側歩道上に乗り上げることは当然であつて、これは甲車が進路変更をしたから発生したものではないといい、前記両者間に必然的因果関係はないように主張しているが、前掲<証拠>を総合すると、乙車は右のようなブレーキ不良車であつたけれども、急制動の場合さほど進路を左に変えやすいほどではなく、歩道に乗り上げたのは、乙が甲車の左側面外の車線に出て、甲車の追い越しにかかつて並進状態に近い段階で急に甲車に左に寄つてこられ、衝突を避けようとして左にハンドルを切り急制動をかけたが、甲車が左寄りを続けるため左斜に並進状態となつてしばらく進行し、その間二回にわたり乙車の積載荷物と甲車の荷台左側後部とが接触もし、乙としては急制動を続けるだけで精一杯であつたが遂に歩道上に乗り上げるに至つたこと、なお当時の乙車の速度は、スリップ痕の長さと、現場の位置的関係と、制動実験や路面の磨擦係数等から、時速五〇キロメートル前後(六〇キロ以上ではなく四〇キロ以下ではない)と推測されること、以上の事実が認められ、乙車は甲車に進路変更されて衝突を回避するため、左にハンドルを切り急制動をかけたが、あとはどうしようもなくいわば必然的に歩道上に乗り上げるに至つたと認めるのが相当であるから、甲車の進路変更と乙車の歩道乗り上げとの間には必然的な因果関係があり、法律上の相当因果関係も客観的にはあるといわざるを得ない。

なお、論旨は乙車のブレーキが正常であつたならば、歩道乗り上げ前に停止可能であつたかも知れないので、ブレーキ不良車のため歩道上まで乗り上げるという結果は主観的に予見不可能であり、その点で相当因果関係がないかのようにも主張しているが、<証拠>によれば、仮に乙車のブレーキが正常であつた場合に右のように停止可能であつたか否かは、制動実験を行なつた結果、判定困難な状況にあるが、加速した直後の事故のため、おそらく停止不可能ではないかと推察するというのであり、乙車のブレーキが正常であつたとしても事故を回避できたと認めることは困難であるし、またブレーキ整備不良の車、積載重量超過の車も道路を走る数多い車の中にはままありうることで、このことは運転者として予見不可能というには当らないと解するから、右の予見不可能ということもこれを肯定することはできず、いずれにしても予見可能性の面からして相当因果関係がないとの主張も、これを認めることはできない。

よつて、甲車の進路変更と乙車の歩道乗り上げとの間に、相当因果関係がないという弁護人の主張は失当である。

(二)  被告人甲が適式な進路変更の合図をし、かつ左サイドミラーで左後方の安全を確認したが、当時乙車は甲車の後方死角内にあつて見えなかつた、との主張については、次のような理由でこれを認めることはできない。

イ まず客観的事実の面から考えると、前掲四四年四月七日付実況見分調書の現場見取図第二図によれば、乙車のスリップ痕は交差点出口の横断歩道外側端の線から6.2メートルの所からついていたことが認められ、乙の制動操作はそれよりもいくらか手前で行なわれている理屈であるが、運転者が危険を感じてからブレーキペタルに足をふみかえ、同ペタルをふんでから制動効果が現われてスリップが始まるまで、いわゆる空走時間があり、その時間は通常一秒と考えてよいことは公知の事実というべきであるから(たとえば安西温、自動車交通犯罪、一八―二〇頁参照)、乙車の速度が時速五〇キロメートルとすれば秒速約13.88メートル、五五キロメートルとすれば秒速約15.27メートルとなつて、右横断歩道外側端から約7.68メートルないしは約9.07メートル手前(横断歩道の幅は通常四メートルであるから、その内側端からとすれば約3.68メートルないし約5.07メートル)の所で乙が危険を感じ制動操作に出たことが推測される。ところで、乙が危険を感じたということは、乙車が甲車の左側面外の車線に出て、まさに追い越しをしようとして並進状態になるか、その直前の状態になつていたことを示すものであるから、その段階で甲車の左サイドミラーには当然に左側面外車線に出てきている乙車が写つたはずであると考えられる。

そして甲は、公判廷においては、前記横断歩道の中ほどか、同歩道を少しすぎた所(前記実況見分調書の現場見取図第三図のか)でハンドルを左に切つたように供述し、司法警察員に対する供述調書や検察官に対する供述調書でもほぼ同旨の供述をしているので、その位置と前記乙が危険を感じたと推測される位置を比較対照すると、甲が左にハンドルを切る直前においては、やはり前記の理由で乙車は甲車と並進状態となる直前段階にあつたと見るべきであり、弁護人主張のように乙車が甲車の後方の死角圏内にいたと見るのは、著しく不合理であつてこれを是認しがたいのである。

なお、<証拠>によれば、当時証人小山一が、乙車が甲車を追い越そうとして若干加速した時点で、乙車が甲車の左サイドミラーに写るか否かの実験をしたところ、前掲四四年四月七日付実況見分調書の現場見取図第三図の(前記から6.1メートル手前)と②(から7.8メートル後方)の位置関係において、乙車の運転台から前方への延長線が甲車の左側面の線と0.5メートルに接近した状態で、乙車は甲車の左サイドミラーに写つたこと、そのサイドミラーはおおむね正常な状態に取りつけられていたことが認められ、乙が甲車の進路変更により危険を感じたと推測される地点は前記のように右②よりは横断歩道に近い所であるから、前記考察とこの実験結果とを併せ考えれば、甲がハンドルを左に切る直前においては、乙車は並進状態となる直前であるから、右実験時の位置よりもなお甲車の左側面の線より外の方に出て、甲車の左サイドミラーに明らかに写る状態にあつたと認めざるを得ない。

(なお、分離第三回公判調書中、証人長山吉男の供述記載によれば、同人が実況見分をした際、乙のいう②との位置では、甲車の左サイドミラーには乙車は写らなかつたように述べ、前記現場見取図第三図のにこないと乙車は見えなかつた、点でサイドミラーに乙車が写る状態を写真にとつたが、そのときの乙車の位置は②だと思う、と述べていて、前記小山一の供述や報告書と矛盾しているようであるが、右長山証人の供述にはあいまいな所や混乱しているとみられる部分もあり、と②で甲車から乙車が見えなかつたというのは、甲はでサイドミラーを見たとは指示しておらずで見たと指示していたのであるから、での視認の可否を云々するのは筋ちがいと思われるし、甲がサイドミラーを見たという点での右視認の可否が当然問題となるのであるから、右点においては乙車はミラーに写らなかつた(乙の当時の指示ではの真横の③点にきているから)、点から点まで甲車を前にずらさないと、③点の乙車はミラーに写らなかつたというのが長山証人の見分した事実ではなかつたと見るべき余地があり、右長山証人のと②の位置で甲車のサイドミラーに乙車は写らなかつた、と②ではじめてこれが写つたという供述は、にわかに信用することはできないのである。)

ロ 次に甲が進路変更の合図を三秒間以上(道交法五三条、同法施行令二一条による)適式に行なつたかどうかについて、甲、乙の供述内容を検討すると、乙は証人としての供述、および警察・検察庁での供述を通じ一貫して、甲車が左に寄る前に進路変更の合図はしていなかつた、これは断言できると思う旨供述しており、交差点に入つてから甲車を左側から追い越そうとして加速進行し、甲車と並進状態になろうとした直前頃、甲車が急に左側に進路を変えてきたので、とつさに左にハンドルを切つてブレーキをかけたが並進状態になつたまま接触し左斜めに進行して行き、遂に歩道に乗り上げて停止した経過も、おおむね首尾一貫してすなおに供述していると認められるのであるが、これに対し甲は、前記のように適式に合図をしたということは公判段階ではじめていい出したのであつて、警察官の取調べの際には、「前記四月七日付実況見分調書の現場見取図第三図のの地点で左側のバックミラーを見たところ、車は写つていなかつたし、後からくる車はないと思い、その地点から左のウインカーをつけて……左に進路を変えて行つた。」(四月七日付供述調書)とか、「ウインカーは出口の横断歩道の真中辺より少し先でたしかに出した。そして横断歩道をこえてから少し行つた所で左バックミラーを見たが、全然車は見えなかつた、それで私は同時に左にハンドルを切りながら進んだ」(四月八日付供述調書)と述べており、検察官の取調べの際も、「交差点の出口の横断歩道にさしかかつたあたりで、左に進路を変えようと思つたので、左のウインカーを出した。またそのあたりでギヤーを再びトップに入れ……左のバックミラーをちらと見た。その時、私の車の左後には他の車がいないように思つたので、左にハンドルを切つた。」「(問、合図を出してしばならくたつてからハンドルを左に切つたのか。答、合図を出してすぐ左に切つた。」と述べていて、以上の供述内容を比較対照し、前記イで考察した客観的状況とも対比して検討すると、乙の供述は客観的状況と見られるところとも合致し、真実性があつてこれを信用すべきものと認められ、これに対応する甲の警察・検察庁での供述内容も右と矛盾・対立するところは少なく、これもおおむね真実性があつて信用性があると認められるが、三秒以上適式に進路変更の合図をしたとの甲の公判段階での供述は、右の乙の供述内容と全く矛盾し、又甲自身の捜査段階での供述内容とも矛盾しており、にわかにこれを信用することはできないのである。

以上検討した結果によれば、甲は前記現場見取図第三図の点付近で左のウインカーをつけ、左サイドミラーをちらと見てすぐにハンドルを左に切つたと認めるのが相当であり、またこの時点で乙車は前述のように甲車の左後方で、甲車と並進状態に入る直前段階であつて、甲車の左サイドミラーをよく見れば当然見えていたのに、甲はこれを見落したと認めざるを得ないのであるから、甲は乙車との衝突の危険を予見し、これを回避すべきであつたのに、不注意によつてこれを怠り、また左後方からの乙車にあらかじめ進路変更の合図をして、衝突を回避するよう警告する措置も怠つた過失があるといわざるを得ないのである。

(三)  また、いわゆる信頼の原則の適用があるとの主張については、甲が進路変更にあたり弁護人主張のような適式の合図をした事実が認められることが前提となるべきところ、その事実が認められないことは前述のとおりであるから、右主張はその前提事実を欠くもので、到底これを採用できないことは多言を要しない。

以上の次第であるから、前記被告人甲とその弁護人の主張はすべてその理由がない。

(法令の適用)<略>

第二、被告人乙について

一、同被告人に対する当初の訴因たる事実は、被告人甲に対する訴因事実(その大綱において甲についての罪となるべき事実に判示したのと同じ)を受けて、

「被告人乙は、昭和四四年四月七日午前九時八分ころ、普通貨物自動車を運転し、前記交差点を、前記のごとく進行する前記甲運転の車両に追従進行中、自車の制動装置の機能が不良であつたうえ、二、四二三キログラムの積荷を満載していたのであるから、厳に追い越しを差し控え、道路の左側に寄つて、先行車両の左後方を安全に徐行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同交差点内で、前記先行車両をその左側から追い越そうとして、道路中央寄りからハンドルを左に切り、時速約五〇キロメートルに加速して、前記甲運転の車両を左側から追い越そうとした過失により、第一記載のごとく左に進路を変えた同車に自車を衝突させて、自車を道路左側端の歩道上に乗り上げさせ、よつて第一記載のとおり、渡辺径子を死亡させるとともに、渡辺照子ほか二名に傷害を負わせたものである。」

というのであるが、「自車の制動装置の機能が不良であつたうえ、二、四二三キログラムの積荷を満載していたのであるから、厳に追い越しを差し控え」るべき注意義務の意味が不明確であるけれども、甲車を左側から追い越そうとした結果、「左に進路を変えた甲車に自車を衝突させ」たことについて、いわゆる予見可能性ないし予見義務があつたことは全く記載がないので、(検察官は後記のとおり予備的訴因の追加ということで、右の予見義務を主張しているにすぎない。)右訴因は、追い越しに際し甲車が左に進路を変えたことに対する予見義務はこれを問題とせず、「制動装置の機能が不良であつたうえ、二、四二三キログラムの積荷を満載していた」から、高速で走行すれば万一の場合に制動がしにくいことが当然予想されるので、高速で走ることになる追い越しは避けるべきであつた。それなのに時速約五〇キロメートルに加速して追い越そうとしたことが注意義務違反である、という趣旨に解釈するほかはないものである。

そこで関係証拠を検討すると、当時被告人乙運転の車両は制動装置が整備不良で、四輪ともブレーキオイルのシリンダーに油もれがあり、ブレーキペダルを一回踏んでも制動効果がなく、二回以上続けて踏んではじめて効果が出てくること、また右後輪内にオイル被膜が付着していてこれだけ制動機能が低下し、急制動した際にはハンドルを左側にとられ、左方向に寄りやすくなるという状態であつて、被告人乙もこれを知つていたこと、また最大積載重量二トンのところ、二、四二三キログラムの荷物を積んでいたことが認められ、訴因記載の日時・場所において、乙が自車を時速約五〇キロメートルに加速して甲車を左側から追い越そうとした際、甲車が急に左に進路を変更してきたため、乙は衝突を回避しようとして左に転把し、急制動をしたが、甲車と接触し左斜に並進状態となつて進行し、遂に歩道上に乗り上げて渡辺径子ほか三名を死傷させるに至つたことも認められるのであるが、右のような状態にあつた乙の車両を時速約五〇キロメートルで走行させたために事故を回避できなかつたこと、換言すれば、制動装置の機能が正常であり、積載超過もない状態で右の速度で走つていたならば、事故は回避できたであろうことが認められるかについては、市橋亮一作成の鑑定結果報告書(謄本)によれば、「乙車のブレーキが正常であつた場合、歩道乗り上げ前に停止可能であつたか否かは、制動実験を行なつた結果、判定困難な状況にあるが、加速した直後の事故のため、おそらく停止不可能ではないかと推察する。」というのであり、積載重量超過の点も、二トン積みのところ四二三キログラム超過の程度では、制限一杯の場合と比べて格段の差が出るとは考えにくいから、結局乙車がブレーキが正常で、積載超過もなく、時速約五〇キロメートルで走つていたとしても、事故は回避できなかつた可能性を否定できないのである。

そうだとすると、制動装置の機能が不良で、積載重量超過の車であつても、これを時速約五〇キロメートルで走行させたことと、本件事故発生との相当因果関係はあるとはいえないから、前記のような「追い越しを差し控えるべき注意義務―実質的には、時速約五〇キロメートルの高速で走つてはならない注意義務」が乙にあつたことは、これを認めることはできない。

そこで、前記本来の訴因については、被告人乙にそのような過失があつたことが認められないから、その犯罪の証明がないことになる。

二、次に予備的訴因たる事実について検討すると、同訴因は、

被告人乙は「前記甲運転の車両に追従して進行中、同車を左側から追い越そうとしたものであるが、自車の制動装置の機能が不良であつたうえ、二、四二三キログラムの積荷を満載していたこともあつて、制動効果が発生しにくく、非常の場合これを回避することが困難であり、しかも同車がしばしば進路変更していて、追い越しは危険な状況であつたから、同車を追い越すことは厳に差し控えるべきであり、やむなく同車を追い越すにあたつては、同車に対しあらかじめ警音器を鳴らすなどして追い越しの合図をし、その動静を十分注視し、安全を確認してから追い越しを開始すべき義務上の注意義務があるのにこれを怠り、なんらの合図もせず安全も確認しないで、漫然同交差点内で甲の車両をその左側から追い越そうとして、道路中央寄りからハンドルを左に切り、時速約五〇キロメートルに加速して同車の追い越しを開始した過失により」とあるほか、主たる訴因と首尾は同じであるが、「自車の制動装置の機能が不良で……非常の場合これを回避することが困難であり」の所は主たる訴因と重複し、すでに判断をたしたとおりであるから、結局、予備的訴因の過失は、

「甲車がしばしば進路変更をしていて追い越しは危険な状況であつたから、追い越しは差し控えるべきであつたし、追い越しを行なう場合には警音器などで甲車に追い越しの合図をし、追い越しの安全即ち同車が進路変更しないことを確認してから追い越しを開始すべき注意義務があつたのに、これを怠つた」ことに帰するわけである。

右注意義務を認めるためには、当該追い越しの開始前にあたり、乙に「甲車を左側から追い越しをすれば、同車が左に進路を変更してきて衝突の危険を招くかも知れない」ことの予見可能性があつたと認められることが必要であるが、検察官は右予見可能性の根拠として、「甲車がしばしば進路変更していて追い越しは危険な状況であつた」ことをあげているのである。

そこで関係証拠により考察すると、乙は甲車を追い越そうとする前、約1.5キロメートルの間同車に追従して進行していたが、その間乙車と甲車の間に、前者が後者を追い越そうとして後者がこれを妨害するなど、感情的になるような事態はなにもなかつたことが認められ、甲車がしばしば進路変更していたこと、しかもその合図もせずにこれを行なつていたことは、これを認めるに足りる証拠がない。

そして、先行車に追従する後行車としては、先行車の横の車線が十分あいている場合には、先行車が進路変更の合図(道交法五三条、同法施行令二一条)をしていないかぎり、先行車はその進路を変更しないものと信頼して追い越しにかかつたとしても、自己の後行車や先先行車との関係で危険がない状況であるならば、その行為に過失はないというべきであるが、関係証拠によつて本件追い越しの状況を見ると、本件事故現場付近は片側の道路幅は約八メートルで、甲車はセンターライン寄りを走つていたので、乙としてはダンプの後方からでは前の見通しが悪いし、甲車の速度が遅かつたし、交差点の先からは道幅も広く、前の方を走つている他の車もかつたので、ここで追い越しをするのがよいと考えて、交差点中央あたりから加速し、甲車の左側面外の車線(その直前方で約5.8メートルの余裕があつた)に出て追い越しを開始したこと、ところが交差点出口の横断歩道付近で、並進状態に入る直前段階で甲車が急に左に進路変更をしてきたため、乙は驚いて衝突を回避するため左に転把し、急制動をかけたが、甲車がなお進路変更を続けたので、接触したり並進状態となつて左斜に進行し、他にほどこすすべもなく遂に歩道上に乗り上げるに至つたこと、右追い越し開始の直前には、甲車のウインカーによる進路変更の合図はされておらず、甲は右横断歩道上付近で左ウインカーをつけると同時位に左にハンドルを切つて進路変更をしたものであることが認められるのである。

右事実によれば、乙が右追い越しを開始した時点において、甲車があらかじめ進路変更の合図もしないで、いきなり左に進路変更をしてくることを予見すべきであつたと認めることは困難である。なお、道交法は左側追い越し、交差点内追い越しを禁止しており、乙の行為はその違反には該当するが、道交法の規則に違反するから即過失があるとはいえないことはもちろんである。

そこで、乙に前記予見可能性があつたことは、証拠上これを認めるに足りないから、その存在を前提とする検察官主張の注意義務も、これを認めるに由がないことになる。したがつて、予備的訴因についてもその犯罪の証明がないことに帰する。

三、以上の次第であるから、被告人乙については主たる訴因、予備的訴因ともに犯罪の証明がないので、刑事訴訟法三三六条により、同被告人に無罪を言い渡すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(和田保)

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